私が老人になったら読み返して、
あんなことあったな。こんな事あったな。と思い出を振りかえるための日記。


先日、25年以上付き合いのある友人が亡くなった。

私をパソコンやインターネット・秋葉原の楽しさを
教えてくれた大恩人。

初めて会った場所は、いつもみんなが集まる家に
だれかが「面白いやつ連れてきたよ。」と紹介してくれた。
その誰かは覚えてないけど、その彼は細いキャシャな体形だった。

彼はあんまり
実家にいるのは好きではなかったらしく、
仲間の家の寝泊りしていた。

ある日、私が彼女を連れて仲間の家に行くと
押し入れで寝ていたのか「どもOOです」と扉を開けた。
彼女は笑っていた。

寝ていた原因は「ときめきメモリアル」の最後で伝説の木の下で
の所での告白の際、プレステーションのロードがおかしくなりゲームが進まず
落ち込んでいたらしい。
そりゃさいごの盛り上がりの所でゲームが終わちゃったら落ちこむよね。

彼は色んな家に泊まり込むようだった。
むろん私の家にも泊まりに来ていた。
だが、私の母がお昼や夜ご飯にと「おにぎり」を握っても
あまり食べるの人では無かった。
ある日、彼の実家からTELがかかってきて私の母が出た。
内容は「OOは家に帰ってこないので、私の家に泊まっていないか?」
という内容だった。
その時は私の家にはいなく、仲間の家に泊まっていた。
私が彼にその話をすると、自宅に帰ったようだ。



私が初めてかったパソコンがコンパックと言う
海外の会社のパソコンで日本で発売されたのを買っていた。

ある日彼が

「パソコンのメモリを増やしたらもっと快適になるよ」

と言うのでパソコン初心者の私はパソコンからメモリを取って、
1人で秋葉原に行って「同じ形のメモリ」を買いに行った。128Mのだったのと思う。
家に帰りメモリを取り付けてスイッチを入れても起動まで行かない。
困った私は彼に相談して家に来てもらってPCを見てもらった。
「メモリの初期不良化も故障かも?」
と言うので、後日購入したお店に一緒に行ってメモリのテストをしてもらった。
店員がお店のパソコンでテストしてる途中彼は一言
「このメモリは壊れていない」とポツリと言った。
その数分後、パソコンは普通に動いたしメモリも認識した。

壊れてない物を間違いがなく購入してしまった私が悪いのだが
彼は店員さんに「返品・返金お願いします」とその理由を話し、なんとかお金が返ってきた。
彼が言うには私の「パソコンは128Mまでのメモリに対応していないから動かなかった。」
と言った。 お店を出た後
またさらに彼は「あのお店はオウムのお店だから買ってはいけない」とも言った。
私はそのお店がオウムのお店だとは知らなかった。
ツートップあたりのお店で、64Mのメモリを買って帰った。

当時私がはネットが全然分からず、ダイヤルQ2という電話回線でプロバイダー利用をしていた。
月に3~4万円払っていた。
「もうちょっとネット料安くならないかな?」と彼に相談したら怒られてて
定額のプロバイダーを教えてくれて、すぐにその契約をした。

また彼に相談もなく私の家にISDNをひいたら
「いまアメリカではADSLが流行ってるから僕はそれ待ち。ISDNの何倍も速い。なんで相談しなかった?」と怒られることもあった。

テレホタイムを教えてくれたもの彼だったと思う。

話は前後するけど、初めて秋葉原に連れて行ったくれたのは彼だった。
とても楽しかった。
お昼時「せっかく秋葉原に来たんだし美味しいものを食べよう」と、
じゃんがらラーメンを食べた。 とても美味しかった。
帰りは「いすずラーメン」を食べた。これもまた美味しかった。
これ以降、秋葉原に行くようになった私は、じゃんがらラーメンといすずラーメン
が定番となった。

また彼は秋葉原の呼び込みや駅前の実演販売の呼び込みが好きだったようだ。
あの人を惹かせるようなしゃべり方が好きだったようだ。

彼はパソコンは好きだけど、あんまりアニメは知らなかった。
その時期、テレビのエヴァンゲリオンは放送された。
あまりの衝撃に私は彼を家に呼び、録画したエヴァンゲリオンのビデオを見せて
「ここが凄い! ここもスゴイ!」と説明してたけど、彼はあんまり興味が
無かったようだった。

それがちょい前5~6年前だったか、
彼は第二次世界大戦をモチーフにしたネット対戦型ゲームをやっていたようだ。
そこで私の従兄弟が彼に「ガルパン」と言うアニメをお勧めした所
たいそうにお気に入りのアニメになったようで楽しんでいたようだった。

彼はパスタというかイタリアンな料理が好みだったようだ。
私と彼はよくイタリアンなお店で食べた。
あまり私はイタリアンな食は知らなかったが
よくしゃべりながら
「アレがこうでこれがこうで」とおしゃべりしてそのお店に長居をしていた。
彼が私にお勧めしてくれた「クリームパスタ(カルボナーラ)」は大変美味しく
サイゼリアに行くときは、いまでも必ず頼むようになった。

彼が車を誰かから格安で購入した時があった。
私が「車で後楽園遊園地に行こう」と言ってドライブに行った。
首都高も走った。
だが結局道が分からず下道を走り、腹が減ったのでそこら辺にある
ソバ屋でソバを食べて帰った。
帰りは深夜になっていたと思う。

また「バイクも格安で譲ってもらった」と、その単車を私に家にまで見せにきてくれた。
嬉しかったんだろうね。


年下だったけど、よくしゃべっては笑い・色々教えてくれたり飽きられたり怒らりはしたけど、
とても楽しかったよ。

もう話せないし会えないのはとても悲しい。
本当に悲しい。

君が買ってくれたSATAのケーブルは飾ってあるよ。
来世があったら、また会いたいな。
また会えたら、泣いちゃうけどそれは許してくれ。
うれし涙だから。

そっちの世界では体調がどうとか分からないけど、元気にしていておくれ。

それじゃあな。

僕が死んだらあの世でまた会おう。

また美味しい料理でも食べに行こう。


2020年6月12日(金)
びっけ